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大学と企業、研究開発するならどっち?
大学発ベンチャーの意義や課題を元に考えてみよう

科学技術立国を謳う日本は転換期ともいうべき時期を迎えています。
現在の科学技術力は右肩上がりだった昭和時代における「投資」の成果、つまり過去の遺産。国の科学技術予算はアメリカや中国に大きく引き離され、国際競争力にも陰りがみえ始めています。
そうした中、研究をイノベーションにつなげてビジネスを確立するためには何が必要なのでしょうか。
大学、研究所、ベンチャー、大企業・・・、研究のための場所はさまざまです。
対照的な2人のノーベル賞受賞者とビジネスとの関係をとおして、研究環境、研究場所について考えてみましょう。

「ノーベル賞会社員」田中耕一氏の「研究場所」


生涯一エンジニア

「それは一体、どの“タナカコウイチ”なんだ?」

2002年10月9日は当時43歳だった田中耕一氏がノーベル化学賞を受賞した日。
その日、報道関係者から問い合わせを受けた島津製作所の広報担当者は、社内に3人いる“タナカコウイチ”のうち、誰が「その人」なのかを特定するところから始めなければなりませんでした。
田中氏は社内でも完全にノーマークだったのです。
 
それどころか、彼自身まさか自分がノーベル賞を受賞したなどとは夢にも思っていませんでした。
鳴り続ける問い合わせの電話に出ても自分のことだとは認識できずに、「私ではよくわかりません」と電話を切ったほどです *1:pp.13-16

田中耕一氏は異色のノーベル賞受賞者です。
受賞後は母校である東北大学から名誉博士号を授与され、さまざまな大学の客員教授にもなって肩書が増えましたが、大学院での研究経験はありません。
しかも、大学では電気工学が専門だったにもかかわらず、大学卒業後に入社した島津製作所では経験のない化学分野の研究を命じられ、専門分野が変わりました。
田中氏は自身を化学者ではない、生涯一エンジニアであると述べています *1:pp.78-79*3
彼が「ノーベル賞会社員」と呼ばれる所以です。

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図1 ノーベル賞受賞後の田中耕一氏(右)(2002年12月10日)
出典:*2 時事ドットコム「日本のノーベル賞受賞者 写真特集」
https ://www.jiji.com/jc/d4?p=nbj001-jlp01208083&d=d4_topics 


創造性を育む研究環境

では、田中氏が身を置いてきた研究環境とはどのようなものだったのでしょうか *1:pp.86-88
田中氏が1980年代に所属していた島津製作所中央研究所では、約50名の研究員が1つのフロアで研究に勤しんでいましたが、その多くは大学を出たばかりのスタッフでした。
彼らは出身地や大学が異なり、専門も物理、電気、ソフトウェア、化学、機械などさまざまで、まったく異なる研究が数メートル離れただけのところで同時並行的に行われていました。その結果、他分野の議論や別分野の研究成果も耳に入ってきました。
このような環境が創造性を発揮するのに役立っていたと田中氏は考えています。

新たなイノベーション

では、ノーベル賞受賞から16年後、田中耕一氏は革命的な発見によって再び世界をあっといわせました *3
実はノーベル賞受賞は田中氏にとって大きな負担になっていました。
「自分は本当にこの賞に値する科学者なのか」
そう自問自答しつつ会社にも社会にも貢献したいともがき苦しむ中、田中氏は新たな目標を掲げました。
それは、「血液一滴から病気の早期診断を可能にする」という野心的なものでした。
当時の社長だった服部重彦は田中氏の決意を聞き、彼の研究をサポートするために年間1億円の資金を田中氏の研究に投じ続けました。
ノーベル賞受賞の翌年2003年には同社に「田中耕一記念質量分析研究所」も開所していました。

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図2 新たな目標を掲げた頃の田中耕一氏と服部社長
出典:*3 NHK(2019)「“ノーベル賞会社員”田中耕一の16年と提言」
https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20190305/index.html 

 

ところが、研究はなかなか成果に結びつきませんでした。
田中氏の苦悩は続きましたが、2009年に「競争的資金の拡充」を掲げる国のプロジェクトに選定され、5年の期限で1年あたり7億円の競争的資金を得たことが転機となりました。
ここから産官学の取り組みが始まります *4
それを機に、田中氏は企業の外に活路を見いだすことにしました。国内外の研究機関に自ら足を運び、助言を求めたのです。
それが新たな人脈を作り、大学での研究を諦めざるを得なかった20人の若者を雇用することにつながりました。
その中の1人が出した実験結果がきっかけで、血液によってアルツハイマー病の発症リスクを診断することがついに可能に。2018年2月、この成果が科学雑誌『ネイチャー』に掲載され、再び世界の注目を集めることになりました。

以上みてきたように、田中氏はノーベル賞受賞後も企業に留まり、研究費用を会社から得ることができました。
ただ、研究が成果に結びつくまでには時間がかかります。
ノーベル賞後に掲げた目標を達成するためには、国からの資金と産学官による取り組みが必要でした。

あのiPS研究所でさえ安泰ではない


資金繰りに苦慮する山中教授

「悩み多き日々ですね」
そう語るのは、iPS細胞の開発で2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授 *5 (12:15)
先にみた田中氏とは対照的に山中教授はずっと研究畑を歩んできました *6:p.1
現在、京都大学iPS細胞研究所CiRA(サイラ)の所長を務める山中教授の悩みの種は資金繰り。
そのため、SNSや研究所のウエブサイト、さらには教授自らがマラソンレースに出場するなどして注目を集め、広く寄付を募っています *7:p.5
国家プロジェクトとして、国は再生医療への応用を目指す研究全体に、2023年までの10年間で1,100億円を投じることを決め、重点的に予算を配分してきました *8
それでもCiRAに所属する約300人の教職員のうち90%が非正規雇用です*5 (21:50)
CiRAでさえこうなのですから、一般に若手研究者の雇用は不安定で、研究者を志望する学生は減ってきていると教授はいいます。

2019年夏、CiRAに激震が走りました。
山中教授らが進めてきたiPS細胞の「ストック事業」に対して、国が支援打ち切りの可能性を示唆したのです *8

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図3 記者会見する山中伸弥教授
出典:*8 NHK(2019)「iPS細胞でノーベル賞 山中伸弥さん 実用化への研究 支援打ち切り?」
https://www9.nhk.or.jp/nw9/digest/2019/12/1211.html 

この事業は、iPS細胞の研究を大学や企業などが別々に進めるのではなく、CiRAが作製した高品質のiPS細胞をそれぞれに供給することを目的としています。
「企業でつくったら何千万円もかかる細胞を、私たちは10万円で提供している」 と山中教授は述べています。
国際競争が熾烈を極める中、資金が限られている日本の研究者や企業がワンチームとなってこの研究を進めていくための基盤ともなる事業です *8

結局、国の支援が打ち切られることはありませんでしたが、このストック事業は、2020年4月に京都大学から切り離され、公益財団法人「京都大学iPS細胞研究財団」に移行されました。その目的は、大学では難しかった研究者の長期雇用を実現し、公益事業としてのiPS細胞の製造や品質評価を進めることです *9

大学が抱える厳しい状況

こうした厳しい状況の背景には、科学分野に関する国の政策転換があります。
2001年に発表された「科学技術基本計画」で政策は大きく転換しました。それは、科学の世界に対する競争原理の導入でした *3
研究者同士を競争させ科学技術力を強化するために、選ばれた研究だけに資金を集中させる「競争的資金」の拡充を行うという方向性です。
先ほどみたように、田中氏は2009年に競争的資金を獲得しましたが、それもこの資金です。
この計画が発表された時、国の科学技術予算の9割を占めていたのが「基盤的経費」でした。
この経費は国から一律に交付され、大学はそれを人件費などに充てていたため、研究者の安定的な雇用が可能になっていたのです。
そこで、当初はこの「基盤的経費」には手を付けず、それとは別に「競争的資金」を増やす計画でした。
ところが、2年後に国立大学の法人化が決定したことで事態が一変します。研究者の人件費にあてられていた基盤的経費が毎年1%ずつ減らされていったのです(図4)

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図4 公立大学に対する基盤的経費の予算額の推移
出典:*3 NHK(2019)「“ノーベル賞会社員”田中耕一の16年と提言」
https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20190305/index.html 

その結果、2017年までに1400億円あまりの基盤的経費が削減され、教授や准教授をはじめとする正規雇用の研究職ポストが減らされることになりました。

こうした状況から、現在、大学の研究室ではいかに外部資金を獲得するかが大きな課題になっています。

大学発ベンチャーというポテンシャル

これまでみてきたような状況を背景に、日本でも大学発ベンチャーが増加しつつあります。
現在は、大学かそれとも企業かという二者択一的な状況では既にないといっていいでしょう。

大学発ベンチャーの定義

大学発ベンチャーの状況をみる前に、その定義を押さえておきましょう。
経済産業省は実態調査に際して、大学発ベンチャーを以下のように定義しています *10:p.3
1. 研究成果ベンチャー:大学で達成された研究成果に基づく特許や新たな技術・ビジネス手法を事業化する目的で新規に設立されたベンチャー
2. 共同研究ベンチャー:創業者の持つ技術やノウハウを事業化するために、設立5年以内に大学と共同研究等を行ったベンチャー
3. 技術移転ベンチャー:既存事業を維持・発展させるため、設立5年以内に大学から技術移転等を受けたベンチャー
4. 学生ベンチャー:大学と深い関連のある学生ベンチャー
5. 関連ベンチャー:大学からの出資がある等その他、大学と深い関連のあるベンチャー

大学発ベンチャーの推移

以下の図5は大学発ベンチャー企業数の推移を表しています。


図5 大学発ベンチャー企業数の推移
出典:*10 経済産業省(2020)「令和元年度大学発ベンチャー実態等調査 結果概要」p.3
https://www.meti.go.jp/policy/innovation_corp/start-ups/r1venturereport_overview_r.pdf 

 

2019年度調査において存在が確認された大学発ベンチャーは2,566社で、2018年度に確認された2,278社から288社増加し、過去最高の伸びを記録しました。

そのうち、2019年新設企業が128社、2019年以前に設立されていたベンチャーのうち把握できなかった企業が261社、閉鎖した企業が34社、大学発ベンチャーではなくなった企業が67社で、そのうちM&Aされた企業は5社となっています。
このことから、大学発ベンチャーの目まぐるしい状況がみてとれます。

次に、先ほどみた定義のタイプ別の割合をみてみましょう(表1)。
 

表1 タイプ別大学発ベンチャーの企業数と割合の推移


出典:*10 経済産業省(2020)「令和元年度大学発ベンチャー実態等調査 結果概要」p.4
https://www.meti.go.jp/policy/innovation_corp/start-ups/r1venturereport_overview_r.pdf 


 

最も多くの割合を占めているは、「研究成果ベンチャー」で58.6%、次いで学生ベンチャーの22.1%となっています。

業種別企業数の推移はどうでしょうか(図6)。
 


図6 業種別 大学発ベンチャー企業数の推移
出典:*10 経済産業省(2020)「令和元年度大学発ベンチャー実態等調査 結果概要」p.9
https://www.meti.go.jp/policy/innovation_corp/start-ups/r1venturereport_overview_r.pdf 

 
図6のように、業種別では、バイオ・ヘルスケア・医療機器が最も多く、次いでIT(アプリケーション、ソフ トウェア)、その他サービスの順になっています。
これらの業種は、2018年度と比べて10%前後の伸び率を示しています。

次に、IPO(上場)とM&Aの件数をみます(図7)。
 


図7 大学発ベンチャーのIPO・M&A件数
出典:*10 経済産業省(2020)「令和元年度大学発ベンチャー実態等調査 結果概要」p.5
https://www.meti.go.jp/policy/innovation_corp/start-ups/r1venturereport_overview_r.pdf 

  

2019年1月28日時点で、上場企業は65社、時価総額は2.5兆円でした。
一方、M&Aによる解散は17社、確認されています。

事業ステージ別 CEOの経歴

では、大学発ベンチャーでは、どのような経歴の人がCEOを務めているのでしょうか(図8)。

図8 事業ステージ別 CEOの経歴
出典:*11 経済産業省(2020)「令和元年度 産業技術調査事業 (大学発ベンチャー実態等調査) 報告書」p.33
https://www.meti.go.jp/policy/innovation_corp/start-ups/r1venturereport_r.pdf 

 
CEOの過去の経歴を事業ステージ別に見ると、事業ステージが進んでいる企業ほど、「大学・公的研究機関の研究者(理工系)」の占める割合が低くなっています。
このことと、事業ステージが進んでも CEO の交代数にあまり変化が見られないことを考え合わせると、研究機関の研究者以外の経歴を持つ人材を登用している企業ほど事業ステージが進んでいるという可能性がみえてきます *11p.:33

おわりに

田中氏は企業内の研究所に身を置き、そこを基盤としながらも国の資金を獲得し、産学官の取り組みによって大きな成果を上げました。
一方、CiRAの所長を務める山中教授は、限られた資金を巡る国内競争を避け、国際的な競争に勝つために、いわばオールジャパン体制で先端的な研究を推進しています。
ここからみえてくるのは、現在、研究環境は、大学かそれとも企業かという二者択一的な状況では既にないということです。

研究をイノベーションにつなげてビジネスを確立するためには、産学の連携を基盤とし、研究規模によってはさらに国からの競争的資金の獲得も視野に入れる、そんな攻めの姿勢が必要かもしれません。


 

KSPによる研究開発者向けプログラム


 

エビデンス

*1 田中耕一(2003)『生涯最高の失敗』朝日新聞出版

*2 時事ドットコム「日本のノーベル賞受賞者 写真特集」

*3 NHK(2019)「“ノーベル賞会社員”田中耕一の16年と提言」(2019年3月15日)

*4 読売新聞オンライン(2020)「若手研究者を育む」(2010年10月福島県郡山市)(掲載:2020/10/05 12:00)

*5 この国の行く末2公式チャンネル(2020)「iPS細胞による再生医療や創薬研究について語る!/京都大学 iPS細胞研究所 山中伸弥/この国の行く末2/<前編>」(2020年1月27日)

*6 内閣府「山中伸弥京大教授のノーベル生理学・医学賞受賞について」

*7 内閣府(2016)科学技術イノベーションの基盤的な力に関するWG(第3回)「大学等における多様な資金の獲得方策 (クラウドファンディングの事例より) 」

*8 NHK(2019)「iPS細胞でノーベル賞 山中伸弥さん 実用化への研究 支援打ち切り?」(2019年12月11日)

*9 時事ドットコム(2020)「京大、iPS備蓄事業を公益法人に」

*10 経済産業省(2020)経済産業省 産業技術環境局大学連携推進室「令和元年度大学発ベンチャー実態等調査 結果概要」(2020年5月15日)

*11 経済産業省(2020)「令和元年度 産業技術調査事業 (大学発ベンチャー実態等調査) 報告書」(2020年2月28日)p.33




インタビュアー:横内 美保子
博士。元大学教授。総合政策学部などで准教授、教授を歴任。
Webライターとしては、各種統計資料や文献の分析に基づき、主にエコロジー、ビジネス、社会問題に関連したテーマで執筆、関連企業に寄稿している。
・Twitter:https://twitter.com/mibogon
 


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